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*毎週金曜日更新*

菊池 和雄

「祖国根元在国史令明」

大東亜戦争(第二次世界大戦)から、日本が奪われ続けてきたもの。
このチャンネルでは筆者が現代の日本人に警鐘を鳴らすため、歴史に埋もれている事柄から読み取ることのできる諸外国の動向、
現代の日本人に必要なものとはについて発信していきます。

疎開 その3

 そして、1941年8月ニューファンドランド沖での大西洋会談では、『たとえアメリカが攻撃されない場合でも、極東においてアメリカは参戦すると約束してくれた』(1942年1月27日チャーチル談)とイギリスの権益を守り、日本に襲いかかる決断は済まされていたのです。

 ハミルトン・フィッシュ氏(非干渉主義を貫いた、共和党の重鎮)によれば、『FDRは議会と国民の意思を無視し、非アメリカ的・非民主的で合衆国の憲法の精神に背くものであった』と厳しく批判し、「屈辱の日」演説は『戦争を始めたかったFDR政権の陰謀である』とまで断じています。

 大東亜戦争のことを、『日本が仕掛けた無謀な戦争』と表現する人がいますが、アメリカをはじめとした白人社会の目の上の瘤に急成長してしまった日本への粛清であり、嫌がらせとイジメを満載した人為淘汰であったと考えます。

 そして1943年1月24日、カサブランカでの米英首脳会談の共同声明後に、『皆さんに知ってもらいたいのは、ドイツと日本の戦争能力を完全に破壊するまで、決して平和はやってこないということです。われわれは、ドイツ・イタリア・日本に対し無条件降伏を突き付けたい』という「ルーズベルトの無条件降伏宣言」が、世界に向けて発信されました。

 チャーチルはじめ、米軍幹部を含めた誰もが予想さえしていなかったと云われているこの突然の発言は、全面的な自棄或いは民族の粛清という究極の戦争を意味し、日本に対してFDRが突き付けた怨念以外のなにものでもなく、この宣言こそが、「一億総玉砕」「本土決戦」「特攻」などの徹底抗戦を際立たせた一因でもあり、「鬼畜英米」のルーツでもあったのでしょう。

 同盟国の英国やソ連、更には国内からも無条件降伏の欠点を指摘されたFDRは、同年のクリスマスイヴに『無条件降伏は、ドイツ・日本の一般大衆に向けたものではなく、その指導者に対するものだ』と全米に向けて、H・フィッシュの弁を借りれば『卑劣で嘘にまみれた』言葉で、宣言の印象を和らげる努力は行ったようです。

 しかし、このクリスマスプレゼントをジャグラー(曲芸師:FDR自らが称していた)お得意のリップサービスと言わなければならないのは、翌年の春には原爆が搭載できるようにB29の改造に着手していましたし、終戦前の6カ月(殊に1945年3月10日の東京大空襲以降)間は、焼夷弾攻撃がアメリカ航空戦略の中心であり、二発の原爆投下と併せて一般大衆を標的とした無差別殺戮であったことを振り返れば、説明など必要ないでしょう。

 FDRの突然の死によって大統領になったトルーマンは原子爆弾の存在さえ知らされていなかった副大統領でしたが、『私は広島と長崎に原爆を投下するよう命じた。それは恐るべき決断だった。アメリカを離れている25万人の青年を救うために決断したのだ』と述べた上、1958年(昭和33年)2月に米テレビで『日本の上陸作戦には150万人の兵力が必要で25万人が戦死すると推定された。だから強力な新兵器を使用するのに何ら良心の呵責を感じなかった。夜もぐっすり眠れた…』と語ったそうです。(2015年8月5日付け 産経新聞朝刊「昭和20年夏①」より引用)

 「米軍兵士の犠牲者数を減らすことが目的だった」との後付けの屁理屈もさることながら、1945年9月の米国々内のギャラップ世論調査では54%もが日本の都市に対する原爆の使用を是認し、更に23%が『日本が降伏の機会を掴まないうちに原爆をもっと落とすべきだった』と答えたそうです。

 後の情報開示(1993年8月11日付けNYタイムス:米国国防総省 国家安全保障局)によって原爆投下の三カ月前には、日本軍の上層部が連合軍に降伏する意向を抱いていたことを察知していたことや、制空権・制海権はほぼ失われ、市街地の多くを日々消失させていたことを考え併せれば、“Yellow monkey”に代表される人種侮蔑と、「富の源泉」である植民地の被支配民族の旗頭となる危惧のある日本民族を「見せしめ」にするため、そして原爆の威力を内外に知らしめるための人体実験以外に、その必要性は見当たりません。            

 更に加えて言うなら、原爆投下の命令書が出されたのは、ポツダム宣言発信の前日、1945年7月25日のことでした。

 大東亜戦争末期の日本の少年少女を含めた一般民衆は、爆弾から逃げ惑い「疎開」もしなければなりませんでしたが、実はFDRを頂点とした白人の非人道的な残虐性から逃れようとしていたに過ぎません。

 大東亜戦争は「真珠湾の屈辱の日」の所為などではなく、日本が不可解な兆候に気付く遥か以前から入念に準備され、慎重にそして白人特有の姑息さで練り上げられた、日本壊滅のためのシナリオに沿って実行された大量無差別殺戮作戦だったのです。

 共産主義者が、“ White House ”を “ Red House ” に染めて敗戦革命を目論み、FDRを手先にした結果であったことはもはや定説です。

 条約に沿った「統治」を「侵略」とすり替えて恨みを増幅させ、嘘や喧伝を満載させた上での日本民族への迫害でもあったことを、必要な修正は加えながら後世に語り伝えたいと強く思います。

『戦争というのは軍人と軍人の戦いの筈だ。だから原爆は戦争じゃない。非戦闘員の真上で爆発させるんですから。虐殺ですよ。』(前述、産経新聞8月5日付け朝刊より 本田稔元少尉のお言葉)

「疎開」は、その虐殺から逃れるためのたったひとつの術だったのです。