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*毎週金曜日更新*

菊池 和雄

「祖国根元在国史令明」

大東亜戦争(第二次世界大戦)から、日本が奪われ続けてきたもの。
このチャンネルでは筆者が現代の日本人に警鐘を鳴らすため、歴史に埋もれている事柄から読み取ることのできる諸外国の動向、
現代の日本人に必要なものとはについて発信していきます。

二日市保養所

「二日市保養所」を何人の方がご存知だろう?

 福岡県筑紫郡二日市町(現在の筑紫野市)にあった「中絶病院」のことで、市民福祉プラザの展示コーナーにあったと言われる説明には、

「帰国した女性患者のために温泉地である二日市に療養 …

「二日市保養所」を何人の方がご存知だろう?

 福岡県筑紫郡二日市町(現在の筑紫野市)にあった「中絶病院」のことで、市民福祉プラザの展示コーナーにあったと言われる説明には、「帰国した女性患者のために温泉地である二日市に療養所が作られた」とだけ書かれてあったそうだ。(2016年5月:「忘却の引挙げ史」下川正晴著)

 博多港には、139万2429人が引揚げたとされているが、ふるさと・日本の島影が見えた途端に海に飛び込んだ女性がおり、引揚者としては当然だが勘定されていない。身ごもった子どもをどうすればいいか、思いあぐねてのことだったと言われている。

 「不法妊娠」「特殊婦人」(佐世保引揚援護局史)などの表現からもお分かり頂けるように、満洲・中国・南北朝鮮などから引き揚げてくる途中に性暴力を受け、心ならずも妊娠してしまった女性たちに人工妊娠中絶を施した堕胎病院だった。

 「一度凌辱された人は、マルイチ。性病の心配のある人は、マルニ。妊娠の人はマルサン。」(引揚者婦人相談員の証言)ではあったが、中には『集団の安全のために』『みんなのために』というそれだけの理由で、「人身御供」としてソ連兵や現地人に差し出され、獣欲の餌食にされたことも決して少なくなかったと言われている。

 終戦時、約660万人が「外地」に取り残されていたそうで、軍隊353万4千人・一般邦人306万6千人がその内訳だが、軍人は止むを得ないとしても一般人の数の多さにはあきれると同時に怒りさえ感じずにはおれない。(厚生省編「引揚げと援護三十年の歩み」-1978年―)

 この数値は国が公式に残し追認したものだが、引揚の逃避行の途中で生まれ落ちた新生児はじめ戸籍にも記載されなかった子供たちは、「海外残留日本人」として数えられておらず、断末魔さえ聞こえてこない。

 その理由は主としてソ連の突然の侵攻によるのだが、満洲からの引揚げを学ぶ作業は最も辛く、重たい時間である。

 それは、国策に応じた開拓団を広大な満州の大地に置き去りにしたばかりか、

「静謐を保つ」との大義名分を掲げて新京(長春)~奉天(瀋陽)以南に関東軍が逃げ込んだことで、ソ満国境に近い居留民は後ろ盾を失ったばかりでなく案山子にされてしまった理不尽な史実を振り返るからだ。

 更に、いち早く後退作戦をとった関東軍は、ソ連軍の追撃を防ぐため橋を破壊しながら進んだことで、後から逃げてくる老人や婦女子の進路と速度を妨害したことで、一層の悲劇を呼んだと言われている。

 参謀本部が南方作戦と本土決戦のために関東軍を見捨て、それならばと関東軍は居留民と開拓団を見捨てたという簡単で卑怯な構図であった。

 「国家に守られない国民が、これほど情けないとは…」という引揚者共通の感慨は、これだけで軍と政府の理不尽さを証言している。

 二日市保養所を語る時、ソ連兵や朝鮮半島の現地人の獣欲が目につくのだが、その一因でもあった参謀本部(軍部中枢)と関東軍の姑息な逃亡劇に対し、これらの事実に踏み込むほど底なし沼のような虚脱感に襲われるが、その恥ずべき行為に対する批判は別稿に譲るとして、二日市保養所そのものにスポットライトが当てられず、まるで存在すらなかったような扱いで歴史の中から省かれてしまっていることには着目したい。

それは、日本民族特有の「惻隠の情」だけではないように思われる。

 確かに、「患者たち」の入院記録や手術記録は一切残されていないし、当時看護にあたった看護師や助産婦たちさえも、形式的な挨拶を交わしただけで個人的な身の上話はもちろん、何処の誰かも知り得なかったと言われている。

 しかし、引揚げ船が祖国の島影に近づいた時、海に身を投げた妊婦の無念さを後の世を生きる我々が知ることに何の制約もない筈で、素通りしてしまっていては誰がどのように贖えばいいのだろう。

 無麻酔で行われた堕胎手術ではあったが、当時の法律では中絶は禁じられており、医療設備・技術ともに未熟で失敗によって母子が死亡したこともあったと言われている。

 戦前は国策に応じて「外地」に暮らし(満洲などへの移民だけでなく、外地勤務などのための転居も含む)、敗戦による引揚げでは厄介者扱いを受け、家族や財産をすべて置き去りまたは強奪・没収され、その上「不法妊娠」者として故国の土を踏んだ人の悲憤は民族として語り継がれなければなるまい。

 この日本の原体験は、顔や住所氏名を明らかにしなくても歴史の中に明記すべきで、ご本人・ご家族の心情に充分な最大級の注意と配慮を行いながら進めていくことは当然だと申し上げなければならない。

 戦争は人が狂気でなくては成り立たない人類の「性」であり、避けて通らねばならない最大の罪過だが、だからこそ戦争の記録と記憶は正確無比でなければならないし、捏造などを許したり看過してはならない。

 一方的に日本だけが悪者であったり、その責任を未来永劫に追及されるような歴史など悪意に満ちた誰かの「作文」に過ぎず、日本国民が謝罪し続けなければならない立場にはなく、義務も負っていない。

 むしろ二日市保養所のような埋もれてしまっている歴史の叫びこそ、丹念にそして誠実に辿ってゆかねばならない。

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