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甲本てん

戦後教育からの脱却

大学法学部卒業後、サラリーマンを経てライティング・WEB関連会社を設立。
法律的な観点から東京裁判の矛盾を検証したことをきっかっけに、正しい歴史認識を普及する活動をスタート。
戦後教育・戦後レジームから脱却し、真の日本を取り戻すことを目指す。

2・26事件について考える③統制派の特徴

2・26事件の背景に迫るには、皇道派に対抗していた「統制派」の存在も忘れてはならない。

彼らは、どのような人たちの集まりで、何のために画策していたのか?

そして、どのような国家を目指していたのか?

私たちは、その動きを知ってこ …

2・26事件の背景に迫るには、皇道派に対抗していた「統制派」の存在も忘れてはならない。


彼らは、どのような人たちの集まりで、何のために画策していたのか?


そして、どのような国家を目指していたのか?


私たちは、その動きを知ってこそ、本当の事件の真相に辿り着けるだろう。
第4回目は、彼らの動きに迫りたい。

 

支持を得た上で主導権を握ろうとする派閥

統制派の中心人物は、統制派を宇垣閥、永田鉄山、岡村寧次、石原莞爾である。


統制派の大きな特徴は、国家の運営において陸軍が主導権を握るために、政治家等と繋がりを持つというところにある。


ここで1つの疑問が浮かび上がる。


“主導権を握るには、政治家との繋がりは必要なのか?”と。


政治家よりも国民の為に活躍をすれば、指示も得られたはずだ。

しかし、彼らは自分たちが積極的に動くということはしなかった。


なぜなら、真の国家改革をするためには、陸軍が中心的な立場になったとしても、周囲の人々の支持がなければ実現できないからと考えたからである。

ところで皆さんは、有能なリーダーの素質とは何かと聞かれたら、どのような人物を想像するだろうか?
様々なイメージの中に、例えば、“人望がある人”と思い浮かべる人がいるはずだ。

 

つまり、政治家と繋がりを持つことで、政界から支持を得たという形で主導権を握ろうとした、というエリート的な発想なのだ。
皇道派のように、半ば強引に主導権を奪おうとしても、決して支持が得られないことを理解していたのだ。
この点が皇道派とは戦略が大きく異なるのである。

 

財閥との繋がりも

軍事政権を樹立するために政治家と繋がりを持ったが、彼らの根回しはこれに収まらない。
皇道派から敵視されていた、財閥関係者とも繋がりを持っていたことも特徴の1つだ。
これは、敵対派閥(つまりは皇道派)が敵視しているから手を組んだという、端的な理由からでないことにお気づきだろうか?

 

軍事政権が実現したとなると、次は戦争が待ち構えている。
特に統制派は、満州国の建設を視野に入れていたため、戦争に関わる装備がなければ行動できなくなる。
つまり、当時の財閥との関わりを蔑ろにしてしまうと、政権の樹立どころか、本来の目的すら達成できないことを見越していたのだ。

 

もちろん、皇道派から敵対視されていた人・業界は、喜んで彼らの意思に賛同したことが想像できる。
なぜなら、こちらと手を組めば、確実に利益になるからだ。
全てを敵とみなし、陸軍内の支持者だけで構成していた皇道派。
彼らとは違い、エリート的な発想で、裏から戦略的に政権の樹立を狙っていたのが統制派なのである。

 

まとめ

激情的な印象のある皇道派とは違い、理性的な印象が際立った統制派。


陸軍が主導する政治、国家という理想には共通点がある。


しかし彼らの場合は、より確実に政権の樹立を目指すということで、自分の味方を増やす動きを積極的に行っていた。


クーデターというイレギュラーな改革よりも、正当性のある改革。


統制派の特徴を一言で表そうとすると、このフレーズが分かりやすいだろう。

派閥における思考形成から

皇道派が形成されたきっかけは、荒木貞夫という人物の登場から始まる。
彼が活躍していた時代は、数々の戦争、満州事変の発生に至るような、社会的にも大きな変動が生じていた時期であった。

 

「皇道」という名称の由来は、彼らが陸海空軍に対して「皇軍」と呼び始めたことから始まる。
もちろん「皇」というのは、天皇を意味することは容易に想像できるところだ。
私たちの視点からは極端に見える表現だが、当時の日本社会にフラストレーションがあった若い将校たちにとって、救世主のような存在だったことに間違いはない。

 

今の政治家たちは、自分たちやその家族に何をしてくれただろうか?
若い兵士たちほど、今の社会の在り方に疑問持つようになる。
現在の政治システムでは打開できない状況を、変えてくれるかもしれない。

 

若い将校にとっては、陸軍内部にうっすらと希望の光が見え始めたと表現してもいいだろう。
また、トップの立場だからこそ、苦しんでいる仲間を救いたいという感情が芽生えたのかもしれない。

ロシアとの戦いから見えたこと

何より皇道派の中心人物らは、政治のシステムだけでなく、国家の在り方にも憂いていた。
そのポイントとなるのは、ロシアの存在である。
社会主義を導入したロシアの様子は、陸軍にとって忘れられない印象を残したと言ってもいいだろう。

例えば、軍隊の統率の在り方や、戦時下の国家体制の仕組み。
これらは、日本の対応とは大きな違いがあり、実際に戦った彼らもその影響力を目の当たりにして感じ取ったのだ。
“今の日本のままでは勝てない”、と。

 

世界恐慌による経済状態の悪化ですら満足に回復できていないのに、これで他国と対等、それ以上の力を国際的に発揮することができるのか?
ロシアと対抗するには、軟弱な対応をするのでなく、多少の強引さも必要なのでないか?
当時、満州の獲得に画策していた軍にとってこの問題は悩ましく、現実を突きつけられていた問題であったため、尚更ロシアの影響を懸念していたのだ。

 

そのため、皇道派内ではロシアを掌握する、それが今後の日本の動向に必要だと考えていたのである。
これが、派閥の大きなイデオロギーとなっていったのだ。

まとめ

皇道派における特徴は、天皇親政と対ロシアを掲げていたことにある。
しかし、皇道派とそれに対抗する統制派の考え方には1点のみ共通している点があることを知っているだろうか?


それは、軍部主導の政治をすること。


この点においては、2つの派閥は同じ考え方を持っていたため、それを実現するためのプロセスが違っていたに過ぎないのだ。