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甲本てん

戦後教育からの脱却

大学法学部卒業後、サラリーマンを経てライティング・WEB関連会社を設立。
法律的な観点から東京裁判の矛盾を検証したことをきっかっけに、正しい歴史認識を普及する活動をスタート。
戦後教育・戦後レジームから脱却し、真の日本を取り戻すことを目指す。

2・26事件について考える①一般的に言われている2・26事件

学校で歴史を勉強した人は、誰でも一度は聞いたことがあろう“2・26事件”。

久しく勉強から離れている人は、それはどんな事件だったのか内容を忘れてしまっているかもしれない。

これは、日本と諸外国との状況を見る上では、非常に …

学校で歴史を勉強した人は、誰でも一度は聞いたことがあろう“2・26事件”。
久しく勉強から離れている人は、それはどんな事件だったのか内容を忘れてしまっているかもしれない。
これは、日本と諸外国との状況を見る上では、非常に重要な出来事の1つであった。
第1回目は、一般的な2・26事件の内容について確認したいと思う。

2・26事件はどのような出来事だったか?

1936年2月26日。
この日の早朝に、東京で大規模なクーデター未遂事件が発生した。
日本の歴史の中で、一揆や打ちこわし等は過去にもあったが、多くの人を激震させた出来事の1つにこれも該当する。

 

クーデター未遂に関わったのは約1500人で、その中心となったのは、陸軍の青年将校たちである。
彼らは、首相官邸や陸軍省、警視庁、朝日新聞社等の国や民間の重要な機関を占拠し、9人の暗殺を実行したのだ。
施設を占拠しただけでも大きな出来事なのに、暗殺も加わるとなると異常事態であることは、当時の誰の目から見ても明らかだった。

 

暗殺されたのは、海軍大佐の松尾伝蔵や大蔵大臣の高橋是清といった、当時の政界における重要人物ばかり。
特に松尾伝蔵は、当時の首相であった岡田啓介と間違われた形での暗殺だったが、彼も重要なポジションに就いていたことに変わりはない。
この事件は3日後に鎮圧され、中心となった青年将校の中心人物は処刑、そして一連の出来事の責任をとり、首相の岡田啓介は退陣したのである。
それくらい、インパクトのある出来事であった。

 

しかし、ここで1つ疑問に思うことがある。
なぜ、将来有望な陸軍の青年将校たちが、このような出来事を起こしたのかと。

世界恐慌から始まった日本の経済ダメージと政治への疑問

主導した陸軍の青年将校たちは、「尊王討奸」と呼ばれる思想を持っていた。
これは、天皇の下で平等な社会や政治を目指すために、天皇を利用しようとする政治家を排除しようとする考えだ。
このような考え方が広まった背景には、当時の日本の社会状態が関係している。

 

世界恐慌の影響は日本にも及び、特に都市部と地方との経済格差がひどくなった。
だが、この状態を現在の政権はすぐに解決しようとはしてくれない。
陸軍の中には農村出身者が多いため、なぜ何もしてくれないのかと歯がゆい思いを感じていた人が多かったのである。

 

今の政治家は何もしてくれない。
ならば自分たちで状況を変えるしかない、そう決意したのだ。
政治への疑問が、彼らを行動させたと言っても過言ではない。

まとめ

今回は、一般的に解説されている2・26事件の内容について確認したが、皆さんが過去に学んだ内容と相違なかったはずだ。
陸軍将校たちが中心となったクーデター、これは政治家だけでなく、国民にとっても大きな歴史として認識されたことに変わりないだろう。
しかし、2・26事件は、首謀した陸軍将校たちの罪がピックアップされることが多いが、この認識は正しいだろうか?
但し、真相は他のところにある。
続きは、次回に寄稿する。